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日々雑感

2025.04.10

意見は愚痴ではない

皆様方、お世話になっております。日々雑感を綴っております。

愚痴を言われてもな
かつて在籍していた会社には毎月部署で集まって報告会がありました。その場で私は製造現場での現状を分析し、問題点と改善点を報告したつもりでした。ところが上司からは『愚痴を言われても…』と言って聞き入れず、話し合いは強制終了となりました。
ちなみに愚痴について、『「愚痴をこぼす」「他人の愚痴を聞いてあげる」などと言われる「愚痴」とは、こぼすことによって状況が好転する見込みもないのに、くどくどと嘆くことを意味する。』とあります。
(生活の中の仏教用語 - [126])
https://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq0000000pwj.html

要は『言っても仕方がないよ』ということです。ただ、あの時本当に仕方がないことだったかどうか?は未だにわかりません。

大学でも
最近も似たようなことがありました。とある大学関係者と話をしていた時のことです。こちらとしては、サイエンティフィックな問題点を述べたつもりが、『愚痴を言われても…』と言われて、そこで話を打ち切られました。どうやら『愚痴』という言葉を使えば、話し合いを打ち切ることに便利なようです。
それにしても、学生時代には指導者から『大学のセンセイにはいろいろいる。世界的な研究をする人もいれば、授業だけをやる人もいる。ホントにいろいろ…』と言われておりました。確かにそうなんでしょう。しかしながら、なりたくてもなれない人が多いアカデミックポジション、研究もしっかりやって、議論もとことんまでやって欲しい思うのは、私だけでしょうか?

実は難しい
最近、ふとしたことから、『意見』や『疑問』などと『批判』、『非難』、『愚痴』、『悪口』などとの違いはどこにあるのか?ということを考えるようになりました。発する側は『意見』を言ったつもりでも、相手には『非難』と取られてしまう場面、意外と多いのではないか?と思います。もちろん、それは結果論であって、いたずらに相手が悪いとかいうものでもありません。辞書を引けば、それぞれ、それなりの意味はわかりますが、実際に運用している中ではかなり曖昧であると感じます。
SNSでの問題も、この言葉の行き違いから生じている可能性も十分あるでしょう。この言葉による誤解を防ぐために、どうすれば良いか?今後の課題と考えます。

個人の感想です
そんな言葉の意味や意義を知りたいときに、つい上記のように『〇〇と△△の違い』と検索してみたくなるものです。今ではAIによる検索結果も出てきます。実際にやってみてわかったのですが、出所がなんとこのコラム(ブログ)と同じような文章でした。私の場合、冒頭に『雑感』と申し上げております。もちろん、雑感と宣言すれば何を言っても良いということではありませんし、世の中のブログやコラムにも論文レベルの文章もあります。しかしながら、多くの場合、いわゆる『個人の感想』であることが多く、一言一句間違いを許さない、正確な情報を伝えるためのものでもありません。その一方で何かを感じたことや、考え方などを述べるもので、これはこれで重要かつ必要なことです。そんな文章を言葉の意味や解釈の根拠とすることは必ずしも適切とは言えないのでは?と思います。このようなことからも、AIの利用は注意が必要だと考えます。

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